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TAKASHI BLOG

70年目に訪れた広島。

Written by Takashi Yamanaka

今日はちょっと重く心に響く内容です。

二年前に初めて訪れた広島。

ある時から毎年この時期になると僕は戦争を、そして終戦を考えるようになった。

母の父には兄弟がいて、その兄にあたる方は、大東亜戦争 ビルマで散った。

いつ、どこで戦死したのかは不明。そして実家には戦地から遺品が送られてくるわけでもなく、ただビルマの地の「砂」が送られて来たという事実。

ある日、母はその事を僕に伝えた。

それからしばらくしてNEWSで広島の被爆者の平均年齢は80歳を超えたという事実を知った。このままでは被爆された方達から当時の事を聞けずに僕は子どもたちに戦争の怖さを伝えることになってしまう。

僕は恥ずかしながら、今ままで一度も広島を訪れたことがなかった。この時、戦後七十年、つまり被爆七十年というひとつの節目の年でもあった。

「広島行こう。」

七月下旬、夜中に僕達家族は荷物をまとめ高速を走らせた。

夜中に出たのでナビ通りに車を走らせて到着したのが朝六時。

広島は雨だった。

あの日も、これほどの雨が降ったのだろうか。

雨が降りしきる中、ある像が目に飛び込んできて思わず車を停めた。

言葉が出てこなかった。

原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑の周辺には色とりどりの大量の「千羽鶴」が掛けられてた。

初めて訪れた広島で飛び込んで来た光景がこれだった。

 

原爆ドーム

教科書やTVでは何度も見たことがあった原爆ドーム。
雨にじっとりと濡れ、七十年という時間の重みを感じさせていた。朝の六時にも関わらず花束を持った方が数人居られお花をそっと置き、手を合わせて帰られた。きっとこの場所ではこれがきっと「日常」なんだろうな。と感じだと同時にそれを知らずに三十年間も生きてきてきた自分に「情けなっ」となってしまう。

この場所がどんな場所なのかも分からず、柵の隙間から入り込む黒猫。

平和の灯の前には入れ替わり大勢の外国人の方も居られており、木々にとまったセミの鳴き声が遠くに見える原爆ドームの景色にとけ込んでいた。

旅先で出会った人とは滅多に連絡先などは交換しないが(そのほとんどが思いのままで良い場合が多いため)ここで出会った横浜にお住まいの老夫婦Sさんとはお互い「初めての広島」同士、気が合い今でも文通をしている。
先日の台風の時もNEWSで「長浜」のワードで僕を思い出してくださり安否確認のお電話をいただいた。ありがたい。

ヒロシマで見つけた言葉

旅をしているといろんな言葉に出会える。

中でも広島では幾度も足を止めてシャッターを切った。

広島の路地裏で表札の横に貼られたメッセージ。

広島平和記念資料館

実際の爆心地を模型にしたもの。投下目標にされた川の分岐する地点に架けられた目印のT字型の橋がここに無かったら…等など考えてしまう。

この他にも、原爆が落とされてからの貴重な資料が本当に多く並んでおり、人によっては直視出来ないような資料もあったけど「現実」としてそれを受け止める他、僕らはこの原爆の恐ろしさを伝える方法はない。既に訪れた事がある人もきっとそうだと思うが、展示されてある遺品などを見ていると涙が止まらなかった。

その後、実際に被曝された方のお話も直接聞ける機会があり、戦時中のこと戦後どのように日本が変わっていったかなどお話していただき勉強になった。

中でも被爆における差別問題は絶対に無視できない問題だ。

広島平和記念資料館を出ると午前中の雨空は嘘のように晴れ渡っていた。ファインダーの向こう側には、薔薇が綺麗な差し色と成り、色彩のない原爆ドームを囲んでいた。

 

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