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TAKASHI BLOG

毎年欠かさないこと 〜もし一人でも欠けていたら〜

Written by Takashi Yamanaka

さて、今日は終戦記念日ですね。毎年このお盆の時期に欠かさず行っていることの中にお墓参りがあります。

今日は先祖というものについて綴ってみようと思います。

受け繋がれる命のバトン

考えてみてください。男性でも女性でも、自分(1人)は両親(2人)から生まれました。
その両親は、それぞれそのまた両親(4人)から生まれました。その両親は、更にそれぞれそのまた両親(8人)から生まれました。


これをずっと倍々計算して10代遡ってい遡った10代目のところに、1,024人のご先祖様がいます。
この1,024人というのは、10代遡ったところ横一列にいる人数だけで、その一代手前には512人のご先祖様が別にいて、更にその一代前には256人のご先祖様が別にいます。

つまり縦に累計していくと、もっとはるかに多いご先祖様(2,046人)が自分の上に乗っかっていることになります。
20代遡るとなんと200万人あまり、30代遡ると20億人、40代遡ると2兆人以上のご先祖様がいる計算です。

これをある経営者先輩に教えてもらった時に、さすがにびっくりしました。よくよく考えるとこの原理原則があって「自分」という人間が「今日」という時を生きれている。というわけです。

そんなコトを考えながらお墓参りをすると、いつもとちょっと違った感情になります。

もし一人でも欠けていたら…

何百万人という先祖が、もし一人でもいなかったら、今の自分はいなかった。この事実に触れた時、僕はなんとも言い難い感情になりました。

もし、先人が子どもを作る前に戦争で亡くなっていたら?

病気で亡くなっていたら?

結婚する人が違っていたら?

この超絶ともいえる、素晴らしき奇跡なのか運命の連鎖によって、今日を生きている。

当たり前のように感じることも、こうやって紐解いて考えるとなかなか奥深いものですよね。

ちょっと関連ですが、ある時から毎年この時期になると僕は戦争を、そして終戦を考えるようになりました。

僕の母の父には兄弟がいて、その兄にあたる方は、大東亜戦争 ビルマで散った。

いつ、どこで戦死したのかは不明。そして実家には戦地から遺品が送られてくるわけでもなく、ただビルマの地の「砂」が送られて来たという事実。

生きているだけで奇跡に近かったあの時代を生き抜いた勇敢な人よ。本当にありがとうございます。

今日、生きていられる喜び、笑える喜び、泣ける喜び。
先祖を想い、今日を生きるという事はこの世に生きていられる「人」だけが得られる特権です。

祖父との思い出が浮かんできました。

普段は思い出すこともないのに不思議です。
いつも僕がお墓参りに行くと必ずいるカエル。他のお墓を見渡しても居ないのに、必ずいつも姿を表してくれるのです。

もしかしたら、お盆にご先祖様が帰ってくるというのは本当なのかもしれません。

 

“The Night They Drove Old Dixie Down”
The Band

※タップ(クリック)すると曲が流れます。

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