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TAKASHI BLOG

ベトナム戦争を振り返る。〜あの時、一体この地に何が起こったのか〜

Written by Takashi Yamanaka

ベトナム戦争という辛く、苦い歴史を乗り越えて今、この街は確かに生きていて…

連日に渡り楽しい、そして信じられないくらい美しい景色など、ベトナムの記事を書いてきたけれど、最後に、忘れちゃいけないベトナム戦争について最後に綴ろうと思います。
(これは僕の中で最低限の礼儀だと思っているので)

まずはこちらのセンセーショナルな写真から

枯葉剤の影響で朽ちた木々の上に裸足で立つ少年。足元には高濃度のダイオキシンが。

爆弾が落ち、穴ぼこだらけ。当たり一面何も無くなってしまったベトナムの地に立つ女性。

ベトナム記事関連の冒頭にも記したとおり、僕はやっぱり、自身の好きな音楽の影響もあってか、「ベトナム戦争」というものに非常に執着していたのも事実です。

ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックスといった60年代を代表するするミュージシャンは反戦歌を歌い、またその考え方に回帰するイヴェントなどが多く行われていました。

戦争証跡博物館(ホーチミン)

もともとベトナムは19世紀から第二次世界大戦後まで、近隣の数か国と合わせて「インドシナ」としてフランスの支配下にありました。この名残はこれまで書いた記事にも登場したように、洗練された料理やファッション、カフェ文化などに今も残されています。

その奥深くが知りたくて自分の目で見たくて、時間を作って行ってきました。

ホーチミンにある戦争証跡博物館。

ベトナムの南北統一をめぐっておきたこの戦争ですが、実際には南ベトナムを支援したアメリカ、北ベトナムを支援したソ連、中国など政治的戦略が背景にありました。

そんな中、ベトナム国内だけで200万人近い人々が犠牲になったこの悲惨な過ちを二度と繰り返してほしくないと願いを込め、ベトナム戦争に関する写真や保管物を展示しているのがこちら「戦争証跡博物館」です。

ベトナム人も米国の使った爆撃で多くの民間人が犠牲になり、また枯葉剤の影響でいまだに障害者も多く、こちらもまた悲惨な歴史が終わっていません。

以前に訪れた我が国、日本でも広島にある広島平和記念資料館での記事 70年目に訪れた広島。

にも書いたように戦争が終わった今もなお、苦しんでいる人が居るというこを忘れちゃいけない。

館内は三階建てで各フロアごとに展示してあるものを分けてある。

泣きながら逃げ惑うベトナムの子どもたち。戦争が起こるといつも、こうやって何の罪もない人が苦しみ、命を落としていきます。

そしてその写真を見る、アメリカ人の人々。
僕は「民族が〜」とか偏った思想は全くないのだけど、こういった写真を見て一体何を感じておられるのだろうか。と疑問に思っていた。

そして日本でも有名なベトちゃん&ドクちゃん。

2007年10月6日に兄であるのベトさんは腎不全と肺炎の併発により26歳で死去。

ドクさんに至っては来日を重ねており、2012年8月には東北を訪れ東日本大震災で被災した障害者たちと交流されている。 その後2017年3月にはベトナムを訪問した今上天皇・皇后と面会している。

日本人であればこの2人の写真は、印象に残っているひとも多いのではないだろうか。

「MOTHER」というタイトルの彫刻。

爆弾の鉄片から作ったもので全国彫刻10周年展覧会で激励賞を受賞。

「ISHIKAWA」とネームタグがついたミリタリーシャツ。石川文洋氏はベトナムの戦場を取材したカメラマンです。

26歳の春、世界無銭旅行に出かけた石川青年は、旅のはじめに、なんとベトナム戦争に出会ってしまった人です。

彼のUS・ARMY製のミリターシャツ。

この手のジャンルの洋服は、個人的な話になりますがアパレル時代から、「ファッション」というカテゴリーではよく使われますし、ディテールなども凝った作りのものが多く、機能性、ファッション性が高いことから、ハイブランドとしても名高いGUCCIなどのアパレルラインでもよく取り上げられるテイストの一つです。

自身もUS・ARMY製のアイテムを複数着持っていますが、やはりここに来て改めてM-65などの有名なジャケットを「生」で見てしまうと、やはり考えさせられます。

館内には当時、使用されていた兵器の数々が展示されています。

戦争証跡博物館を訪れる、沢山の外国人観光客の人々。

目をそむけたく成るような写真の向こう側に

粉々になったナパーム弾だろうか。

こういった兵器が沢山の人の命を奪い、そして未来にも大きな傷跡を残した。

 

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※ここから先は過激な写真もあり、掲載するか迷いましたが、このBLOGを見てくれた方に、一人でも多く真実を知ってもらいたくて掲載することにします。

 

完全無抵抗な人々に銃口を向ける兵士。

粉微塵にされた豊かだったはずの村の風景。

家々は火炎放射器で焼き払われ、ベトナム人の民芸としても有名な編みカゴなどが一緒に焼かれる。

目を疑いたく成るようなこの写真の数々。それでもほんの数十年前の出来事で。

知らなくていいなら知らないほういい。

だけど、だけど僕はこのベトナムの土地に来た以上は訪れずには居られなかった。

あれだけアメリカの音楽や映画の題材とされる「ベトナム戦争」ってやつの本当の姿は教科書には載せられるわけがなく。

近代戦争史の中でも絶対に忘れてはいけないものだと思う。

写真の兵士に聞いてみたい・・・

「一体、彼が君に何をした?」と

 

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このころアメリカ全土に目を向けてみると、60年代のアメリカでは公民権運動や黒人差別問題があります。この時期にアメリカの徴兵がかかったある一人の黒人がいました。

しかし、彼はこんなことを言って徴兵を拒否しました。

「お前たち白人は”国のために命を捨てて戦え”と平気で命令する。そのくせオレの名前も宗教も尊重しようとはしない。そればかりか不当なやり方でオレから職業を奪い、収入の道さえ閉ざす。すべては、お前たち白人がやったことだ。ベトコンはオレを”ニガー”と呼ばない。彼らには何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない。オレたち黒人が戦うべき本当の敵はベトコンじゃない。日本人でも中国人でもない。300年以上も黒人を奴隷として虐げ、不当に搾取し続けたお前たち白人だ!」

そう言い放った一人の黒人。それは伝説的ボクサー。

モハメドアリ。

彼はアメリカという「大きな力」に流されることなく、人間らしくリングで闘い、またアメリカと戦った人ではないだろうか。

1965年から本格化したベトナム戦争。血みどろの悲惨な戦闘に、敵味方両方が苦しんだ戦争として、その傷跡はいまも深く残っている。

表には当時使われた、戦車やヘリなどがそのまま展示されている。

映画「タクシードライバー」などに代表されるように、アメリカ兵は本国に帰れば反戦思想に苦しみ、心身ともに病んだ兵士や、自殺者も多く米国にとっては苦く、つらい歴史となった。

こんなバカげたことを繰り返さないためにも、いつでも、そしてどんなときでも「NOにはNOを言える人間」でいたいと強く思わせてくれた瞬間だった。

販売スペースにて出会った男性

館内の中で音楽が大音量で流れているところがあった。奥の男性は、生まれつきブラインド=目が無いため見えない。彼は「音」だけを頼りに生きてこられたのだろう。

ベトナムの曲だろうか。キーボードを弾いていた。

一曲が終わると彼に聞いてみた。「Do you know John Lennon’s IMAGINE song?」そいういうと彼は、何も言わず少し、恥ずかしそうに、なんとビートルズのOb-La-Di, Ob-La-Daを弾いてくれた。

きっと彼なりのリクエストの応え方だったのだろう。

イントロが聞こえた瞬間に僕は笑みをこぼしてしまった。

そして、その横に車椅子に座っておられた枯葉剤の影響で手足に不自由を抱えた男性。
それでも前を向いて、訪れた人に向けて手と足を使いキーホールダーやアクセサリーを作っている。

「あの戦争さえなければ…」と彼は何度思っただろう。

それでも、この場所に訪れた沢山のアメリカ人にも、優しい笑顔で自分で作った作品を売る彼を、初めて見た時。

僕は思わず、涙が止まらくなってしまいこの販売スペースを出て、端に身を寄せてしまった。

どうしてそんなに彼は優しい笑みで、作品を売れるのだろうか。

彼の、彼しかできない生業(なりわい)をまじまじと僕は見て、正直なんて言葉をかけていいのかが思いつかなかった。

しばらくし、落ち着いた頃に販売スペースに戻って、彼から購入したキーホルダー。

これは、この旅のお守りでもあり、この先もずっと持っていようと思っている。

最後にこんな素敵な笑顔で、一緒に写真を取ってくれたあなたに、僕はもう一度、

「ありがとう」を言いたい。

これ以上の思い出に残る土産はきっと、ベトナム中を探し回ったって見つかりはしないだろう。

 

戦争のない世界が一日でも早く訪れますように。

今回の記事を見てくれた、全ての方々にこの曲を捧げます。

 

“Blowin’ In The Wind”

Bob Dylan

※タップ(クリック)すると曲が流れます。

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