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TAKASHI BLOG

足るを知る。

Written by Takashi Yamanaka

はじめに。

昨日の北海道の大地震、先日の台風と天災の被害を受けたところの建物の復興を祈るばかり。

滋賀県でも国道ではトラックが横転してるし、古い瓦葺きの屋根は飛んでいたり、看板は大きく曲がって。

破損してしてしまった建物の復興にもしばらく時間がかかるだろう。

かくいう僕の住んでいる長浜市エリアも高圧電線が切れたりして停電。

かれこれ16時間も電気のない生活を強いられたわけで。

テクノロジーの進化という反面、この便利な世の中にどっぷり浸かっている僕はこんなに長い時間「停電」を経験していろいろと考えさせられた。

その情報をNEWSなどで知った東京の友達やタイ人、シンガポールの友達から「タカシ大丈夫?生きてるか?」と連絡をもらって。

本当に嬉しく思う。

足るを知る

ところで「足るを知る」って言葉あるけれど、僕はこの言葉の使われ方に違和感を覚える。

一般的には『身分相応に満足することを知る』といった意味合いで使われることが多いのですが、実は違うんじゃないかと思うのだけど。

「足るを知る」という言葉は『老子』の中の

知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。
知足者富、強行者有志。

不失其所者久。 死而不亡者壽。

の「知足者富」に由来していて、この言葉を僕なり訳すると、

『人のことをよく理解するには知恵が必要であり、自分のことを理解するには智慧(知恵以上のもの)が必要である。
人に勝つことができる人は力をもち、自分に勝つことができる人は強さを持っている。
自分は何を持っているのかを知ることが真の豊かさである。努力をできる人は志を持っている人である。

本来の自分らしさを見失わない人は長きに渡って栄え、たとえ死んでも、アインシュタインやジミヘンの様に、その志は亡びないことを知っている人こそ、本当の長寿なのだ』という解釈になります。(少なくとも彼らは自身が死んでからも後世に自分が与えるであろう影響を客観的に考えていたと思う。)

足るを知るの本来の意味とは?

以上の文章の前後関係から言っても、老師が「身の程をわきまえろ」という意味でこの言葉を言ったとは思えない。

前の「人→自分」という文章の構成からも、「人よりも自分」すなわち「外より内側」を見つめろ、というメッセージになっているように思えてならない。

そう思った時に「知足者富」というものも、「外より内側」で考えた時に、「外」すなわち「収入・地位・財産」といった外的なステータスではなく、「内」すなわち「命・志・思想」など自分の内側にどれだけ素晴らしいものが備わっているのかを理解しろ、という解釈をするのが妥当ではないかと思ったりして。

物があふれ、満ち足りた時代だからこそ、「足るを知る」という心、またそれを感謝する心をもう一度見直す時期がきているように思う。

自分がどういう状態であっても、外的なステータスではなく、内的に持っているものの価値(=究極的には今、命があるということ)に感謝をする、ということが足るを知るということなのではないかと。

足るを知るということは感謝の心を持つということ。

お金が欲しい人も、もうすでに持っている人も、外的な状態に惑わされることなく、「自分は自分のままでとっても価値があり、この命を授かっていること自体への満足を知る」ということが、足るを知るの本質なのではないかと。

そして、道を進み続ける中でも、自分は不完全で、何もないと感じて、劣等感を抱くのではなく、

『自分が生きているだけで十分満足であることを知っている人間は、真に豊かな人間で、その上で、ありのままの自分を知り、その道を進み、道を進むための努力を続けるべきである。そして、その努力を続けていること自体が志を持った人間であるので、こんな人間になろう。』

老子はこう言いたかったのではないのかな?って考えたり。

台風で気づかされた

家族がいて、家があって、車があって…

3.11の震災時にも東京で計画停電を経験して、「電気」の有り難さを身をもって感じた。

建物が崩壊するほどの台風を経験したのははじめてのことで。

オール電化の家は本当に何もできなくなるし、頼りになるのはスマホやタブレットと言ったポータブルデバイスだけ。

とにかく心細くなる。

でも、それらも後はバッテリーとの戦いで、切れたら終了。

そんな中で、周りの人からもよく言われるけれど、自分の仕事のスタイルってどこでもできるから、ホントいいなって思う反面、その裏側には「電気」がないと何もできない。って感じた。

しばらくして復旧して電気がついた時の安堵感。

「あぁ、やっと明かりがついた」

そんな普段なんとも思わないようなことを感じると同時に、テクノロジーの発展で「暮らし」が便利になっていること。そしてその恩恵にあずかっている人間の無力さを痛感する。

こんな当たり前のことを思いながら「電気」のない生活をされているアフリカの方たちは、この「停電」状態が普通なわけで。

その中で働かせる頭の使い方や、行動は原始的かもしれないけれど、本来「人間」が生きていく上では必要なことばかりなんだろう。

足るを知る。

テクノロジーが今よりも発展し、きっとAIやIOTなどがもっと家庭に普及したら、今より「電気」や「人間」のあり方を考えさせられるようになるんだろうな。と考えさせられた一日だった。

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