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TAKASHI BLOG

ポル・ポトの悪夢 〜忌まわしいクメール・ルージュのキリングフィールドへ〜

Written by Takashi Yamanaka

カンボジア最後の2日間。

僕はこの土地でどうしても訪れたい場所があった。

滞在拠点にしていたシェムリアップからはほど遠い、プノンペンにあるキリングフィールドという場所。

それは読んで字のごとく、殺人広場。

 

シェムリアップからプノンペンまでの距離と移動時間を調べる。

日本で生活している時とは違い、現地にいるというテンションはやはりいつもの自分を維持できなくなる。

シェムリアップからプノンペン。空港も違うくらい離れているので通常は長距離バスなので移動する距離感なんだけど。

328kmか…

「まぁ行けない距離じゃない」と自分に言い聞かせた。(本当に旅をしている時の自分のモチベーションには我ながらすごいと思う。)

でも時間がない。その日の夜にはシェムリでホテルチェックインとバイクの返却もある。

朝の4時にホテルを出てプノンペンまで向かった。

帰国してから調べてわかったんだけど、328kmとか想像できるようでなかなかできなくて、日本でどのくらいかと調べてみたら大体長浜から鳥取くらいだった。

それを日帰りで、それも小排気量のレンタルバイクにまたがり、8回もガス欠→給油を繰り返した、まるで電波少年のような旅だった。

途中で運転中に眠くなり、小屋を間借りして1時間ほどの睡眠をとって運転すること7時間半。

やっと着いた。キリングフィールド。以前のBLOGから読んでもらっている人もいるかもしれないけれどキリングフィールドとはポルポト政権(1976-1979年まで)時代に虐殺が行われていた場所。

このような場所はカンボジア内に約130箇所あり、そのうち約80箇所程が保管されている。そのキリングフィールドの中でも一番有名なのはプノンペンにあるキリングフィールド。

上のような綺麗な場所なんだけど、その光景とは逆に実際ここで行われていたことは残虐そのものだった。

ここで何が行われていたのか?

幾多もの人たちが鉈や鍬で撲殺され、埋められていたまさにその現場である。

ポルポト政権下において行われたことは…

「経済なんて必要ない。経済があるから競争が生まれ、争いが起こる。

利益は個人のものではなく国家のものとし、全ての階級も廃止。」

更にこの政権下のもと、実際に行われたことといえば…

  • 学校は閉鎖
  • 病院も閉鎖
  • 貨幣も廃止
  • 戸籍も廃止
  • 書籍は処分
  • 宗教も禁止
  • 音楽や映画も禁止
  • 恋愛も禁止
  • 一切の私財が没収

ちょっと信じられませんが事実です。

つまり、農業のみで国を成立させ、農民こそが真の国民という偏った思想で、そこには知識を持つ国民は必要ない。という考え方。

なぜって?

「農民こそが真の国民」であり、知識を持つ国民は争いを呼ぶ。だからいらない。むしろ危険人物。

だからそういった人物は“殺せ(処刑すれ)ばいい”

200万人以上の犠牲者

残念ながら次第に虐殺はエスカレートしていきます。

  • 眼鏡をかけているひと
  • 外国語を話せるひと
  • 本を読んでいるひと
  • 過去に海外に行ったことがあるひと

これらの人々も知識階級と見なされ虐殺された。

このポル・ポト政権による強制労働、飢餓、大虐殺による死者は200万人以上とも言われている。

1970年代の総人口が約700万人と言われているので、約3割がそれにあたる計算。

サトウヤシの木。
処刑にはこのヤシの葉まで用いられた。よく見ると小さなギザギザがついている。

これをノコギリのようにして首を切ったという。

実際に農村では鶏を屠殺する際に使うというが、わずかばかりのギザギザがついているだけなのでその苦しみは想像できない。

ポル・ポト率いるクメール・ルージュは銃弾は高価なので処刑には使用しなかったのだ。

知らなくていいなら知らないほういいのかもしれない。

カンボジアの綺麗な風景だけ味わって「旅行者」を気取ることは簡単。
また、その物価の安さから、リッチな気分だけを楽しんでインスタにあげて楽しむこともできるだろう。

だけど、僕はその「時代の流れ」の楽しみ方だけに価値を感じることなんてできなかった。
やっぱり以前回訪れたベトナムの時のそれと同じく、自らの足で動いて、自らの目で見ないと気がすまなかったのも、また事実だった。

キリングフィールドでは各国の外国人観光客に合わせて丁寧な音声アナウンスで当時の状況を生々しくもわかりやすく教えてくれる。
凄惨な処刑現場であった場所を開放し、ツアーや写真撮影も許可している。すべては後世にこの悲劇を伝えるために。

開放されている道を歩いていると、地面に白い骨が浮かび上がっているところがある。窪みをよく見ると小さい歯がいくつも散乱している。今も雨季になると雨で地面が流され、骨や衣服が出てくるという。

トゥールスレン収容所からここにトラックで連れてこられた多くの罪の無い人々が、次々と無残に殺害された。
それも同胞の手によって。

信じたくないけれど、現実というのはいつも残酷で、激しい。

キリングツリーの前で止まった時間

この木はキリングツリーと呼ばれていて、この木にはたくさんの数珠や花が供えられている。

なぜかというと赤ん坊を殺すときに、この木に頭を打ち付けて殺していた。それも母親の目の前で。この木には発見当時、血や脳味噌や骨が付着していたという。

その処刑をしていた人たちは、ほとんどが少年兵だったという。
クメール・ルージュはその成り立ちから地方の貧しい子供たちを兵隊として勢力を築いてきた。

彼らは衣食を与えられ、そのまだ無知な頭のなかにポル・ポトの思想をねじ込まれていった。
ポル・ポトは「腐ったりんごは箱ごと捨てろ」と教えていた。少しでも怪しいと認定されたのなら親族含めて皆殺しにした。少年兵たちは何の疑いもなく、赤ん坊を次から次へと。

僕はこの木の前で立ちすくんでしまった。5分だか10分だか時間はもはや覚えてもいないんだけれど。

それは初めて広島に訪れた時に見た色鮮やかな千羽鶴と重なってしまったからだろう。

足を持って頭を木に叩きつけて殺して、殺した後はすぐ脇に掘った穴に投げ捨てる。そんなルーティンのような手順で次から次へと殺されていった赤ん坊たち。

一体なぜ?とその場で何度も訪ねてみた。

だけどいつもと変わることなく、その木はただ風に吹かれたミサンガを揺らしているだけだった。

マジックツリー

仏教の開祖であるゴータマ・ブッダがその木の根元に座って悟りを得たのが菩提樹という有名な樹木。

しかし、ここキリングフィールドでは菩提樹の木にはスピーカーが吊るされ、大音量で革命の歌を流し、処刑する音や悲鳴をカモフラージュしていたそうでマジックツリーと呼ばれている。

音声でその時のカモフラージュしていた時の「音楽」を聴いたんだけどなんとも悪寒が走るような軽快で明るい行進歌のような曲だった。

それを大音量で敷地外の一般人には気付かれないように流し続けていた。この場で処刑されてしまった人たちは最後に聴いた音楽ということになる。

大量の頭蓋骨を納めた慰霊塔

慰霊塔の中には大量の頭蓋骨が納められていて、中には欠けていたり陥没していたりするものがあった。

これが、約30数年前の出来事。

僕は、この音声ガイドを聞き始めてから1時間、シャッターを切ること以外、それこそ一言も声が出なかった。

カンボジアの人口ピラミッドを見ると、自然ではありえない不気味な形になっている。

プノンペンの町を歩けばどこも若い人たちばかり。老人を見かけることはかなり少ない。クメール・ルージュによって知識階級が皆殺しにされたために、カンボジアの復興は大いに遅れ今でも貧しい暮らしの中にある。

見学を終えて僕が第一に思ったのは「これが自分でなくてよかった」ということだ。ここまで凄惨な出来事だと、他人事としか受け入れられない。むしろ平和な境遇にある自分への安堵の思いでいっぱいだった。

無責任な発言かも知れないが、それほど恐怖を感じた。世界ではシリアのように未だにこのような悲劇が繰り返されている。
そう。こうしている今もなお空爆で建物ごと吹っ飛ばされている。随分前にも記事に書いたGoogleが制作した “シリアを探して” にも書いた。

女も子供も赤ん坊も、関係なく。

大義名分という言葉を振りかざし、次から次へと武器を買い漁り、他国を攻撃している。

旅先では普段のニュースがとてもリアルに感じる。他人事だけど、それはたしかに起こっていることで。

なんの変哲もない日常がいかに幸せということか。

愛する人と喧嘩ができることがいかに幸せということか。

夢を持てるということがいかに幸せということか。

死をもって生を実感させられた一日だった。

 

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