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TAKASHI BLOG

南北が争ったあの時代。そしてサイゴン陥落後のホーチミンへ

Written by Takashi Yamanaka

ベトナムというと、皆さんは何を想像されるだろう。

僕はやっぱり、自身の好きな音楽の影響もあってか、「ベトナム戦争」が頭の片隅に未だにこびりついています。

ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックスといった60年代を代表するするミュージシャンは反戦歌を歌い、またその考え方に回帰するイヴェントなどが多く行われていました。

ベトナム戦争が生んだ悲劇

1965年から本格化したベトナム戦争ですが、血みどろの悲惨な戦闘に、敵味方両方が苦しんだ戦争として、その傷跡はいまも深く残っている。

もともとベトナムは19世紀から第二次世界大戦後まで、近隣の数か国と合わせて「インドシナ」としてフランスの支配下にありました。この名残は洗練された料理やファッション、カフェ文化などに今も残されています。

しかし、大戦中にABC包囲網などで追い詰められた日本が、資源その他を求めてフランス軍に植民地化されていたベトナムのほうまで侵攻しました。そのころ、フランスは自国でドイツに降伏。

すると、フランスが一時撤退した代わりに、いったんは日本が進駐することとなります。

ところが日本が米国への敗戦を喫して、日本もベトナムから撤退。ベトナムはこれを好機と、ベトナム北部のホー・チ・ミン革命家とその同胞がベトナム独立を宣言します。地名に今なお残る、ホーチミンはこの人の名前からとっています。

そのころ世界は社会主義・共産主義がいいのだ、という旧ソ連などの国々と、民主主義・資本主義こそ自由で幸せになれるのだというアメリカのような考えの国々が、実際の戦闘はせずに軍事力を蓄えてはにらみあうという、いわゆる「冷戦」の真っただ中でした。

南北統一をかけた戦いの裏にあったソ連と米国の戦争

ホー・チ・ミン氏率いるベトナム北部の思想は、ホー・チ・ミン氏がソ連のスターリンに憧れていたことから、旧ソ連に近いものでした。

南部はフランスの自由主義的思想を受け継いでいました。ゆえに、両者それぞれ、思想を拡大したい旧ソ連とアメリカがそれぞれ南北に支援・味方をしました。

アメリカ兵はベトコンに苦労したうえ、映画「タクシードライバー」などに代表されるように、本国に帰れば反戦思想に苦しみ、心身ともに病んだ兵士も多く、米国にとってはにがく、つらい歴史となりました。

ベトナム人も米国の使った爆撃で多くの民間人が犠牲になり、また枯葉剤の影響でいまだに障害者も多く、こちらもまた悲惨な歴史が終わっていません。

戦争の結論としては旧ソ連の支援をうけた北部のベトコンの血みどろの戦闘によって、アメリカは撤退し敗戦をします。

そして、ベトナムは現在社会主義共和国として現在に至る。

ホーチミンの「今」を見る

そんなベトナムに明日から旅立つわけですが実はベトナムの中でも今、ホーチミンのIT分野って実は結構レベル高い。
その視察も兼ねて、もうすでに何社かアポ取らせてもらってる。

もちろん「デザイン」という部分では、日本人の感覚的な部分とは違う部分もあるので俗にいう「日本人ウケ」するデザインっていうのはなかなか発掘するのは難しい(もちろん言語や文化の壁があるので)だけど、技術者=エンジニアのレベルには本当に期待している。

そういった有能なエンジニアである彼らに仕事を通じて何かにつながる橋渡しをしたい。

ずっと前から思っていたテクノロジーの力を活かして「貧困を少しでも無くしたい」そんな目標の第一歩に繋がるのではないかと個人的に感じています。

良き発見、出会いがあることを祈って。

向こうでもBLOGは更新します。

それでは皆様。電話は通じませんがLINEやメール、スカイプで何かあればご連絡ださい。

Hen gap lai!!!!!

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